3分で解説!『なぜ世界は存在しないのか』

3分で解説!『なぜ世界は存在しないのか』

-マルクス・ガブリエル-

今日はマルクス・ガブリエル著『なぜ世界は存在しないのか』について解説していきます。

 

「世界は存在しない」というインパクトの強い言葉に対し、哲学者らしく内容は常に論理的でわかりやすくなっています。

 

 

まず、この本における「存在する」とはどういうことなのか、紹介していきます。この本での「存在する」とは「物理的にそのものがあるかどうか」だけではありません。「映像の中に存在する」「私の頭の中に存在する」といったことも「存在する」と認めるのです。

 

例えば私が「スカイツリーのてっぺんに身長100mを超える巨人が存在する」と言ったとしましょう。普通であればあり得ないと思うでしょう。しかし、この本における「存在」では確かに存在するのです。これは現実のスカイツリーに人間が認識できるレベルで言えば、10巨人など存在していません。そして同様に読者の皆様の頭の中にも存在していないかもしれません。しかしこの文章を書いている時点で私の頭の中には存在しているのです。この時重要になるのは「どこ」に存在しているか、なのです。この「どこ」を本の中では「対象領域」と表現しています。

 

 

「どこ」とは「スカイツリーのてっぺん」のような座標を表すものではありません。そのものがどの領域に存在しているか、ということです。先の例で言うなら「私の頭の中」が「どこ」に当たるのです。確かに読者の皆様の頭の中には存在しなかったかもしれません。しかし、私の頭の中には存在したのです。この私の頭の中がずばり、対象領域なのです。「存在する」とはすなわち「対象領域の中にある」ということなのです。スカイツリーにいる100mの巨人は私の頭の中という対象領域に存在するのです。

 

 

そして、この対象領域自体もまた別の対象領域の中に存在します。対象領域自体は無数に存在します。科学的に存在が裏付けられているというのは、科学という対象領域に存在しているにすぎないのです。

そしてこの理論の下ではありとあらゆるものが存在します。どんな空想の産物であれ、くだらないことであれ、何かの対象領域に存在しています。もちろん複数の対象領域に属しているものがほとんどでしょう。となった時にタイトルの「世界は存在しない」とはどういうことなのでしょうか。

この本における「世界」とはありとあらゆる対象領域を包含する存在であると定義されているのです。逆に言えば、どんな対象領域も「世界」という大きな対象領域の中にあり、だからこそ「存在」できているのです。そして、一番外側の対象領域である「世界」はほかの対象領域内に属すことができないため「存在しない」のです。

 

 

『なぜ世界は存在しないのか』というのは逆に「世界以外のありとあらゆるものが存在する」ことを意味しているのです。

 

 

現代では科学がとても発達しています。それ故科学的でないものは「存在しない」かのように扱われていることもあります。幽霊などはその分かりやすい具体例ではないでしょうか。しかし、歴史的に見ても科学を絶対視することは非常に危険です。そして何より、人間が認識できているものが世界のすべてではありません。

 

 

この本では「存在する」とはどういうことなのか、という話を通して新たな世界の見方の一端を教えてくれます。自分の学んだこと、知ったことがどのような対象領域なのか認識することが、学びを有効活用し、新たな学びに繋げる一歩なのではないでしょうか?

 

マルクス・ガブリエル(著)  清水 一浩 (翻訳) 『なぜ世界は存在しないのか』 講談社選書メチエ