「学びを楽しむ」
とはどういうことか

近年のクイズ番組ブームにおいて、高学歴な芸能人や「東大出身」などという肩書を持つ人をしばしば見る。彼らは専 家顔負け 知識や頭の柔らかさを画面の で披露してくれる。

学歴 よって見落とされがちだが、彼らも同じ 間であり努力している。もっと言うならその番組のために対策もしている。それをわかっていても、出演者 が瞬間的に 答えるシーンを見ると「すごい」を 通り過ぎ て恐怖すら感じる。

「賢くなりたい」「頭がよくなりたい」もしくはそう見られたい、という欲求はだれしも少なからずあ だろう。しかし前述したテレビの中の人たちが果たして上記のような欲求だけでここまで来た だろうか?きっとそれだけでなく、「知ること」や「考えること」 楽しんでいたはずである。

何か目的をもって学ぶことも、時には重要であり、そうやって成功した人が日の目を  見る ことも多い。自分の成長を感じることができればそれも一つの楽しみになるだろう。ただ、それは成長していることを感じなければ楽しめない、 という ことにもなってしまう。それよりも、面白いと思えることを知る ところから 始めてみるのはどうだろうか?自分の純粋な知的好奇心に耳を傾けてほしい。 

長しなければ、と背伸びするよ も純粋に今を楽しみ、それが巡り巡って自分の役に立っている。「役に立つから学ぶ」ではなく、楽しんでいたら「役に 立った 」という 脈のほうが自分にも心にも優しい。

面白い、という言葉の語源には、漢  で「面白」と書く説がある。目の前(面)が明るい(白)という意味で「面白」だと言われているが、先が分からないからこそ面白いので ないか と思う今日この頃である。

(ライター よっしー)