「まぢ無理病む」原因を!

昨今の若者(私もその一人に属しているが)は、精神的に不健康な時に「病む」という言葉を頻繁に使う傾向があるように感じる。私はこの状況が好きではない。
私は時代の潮流に乗ることが非常に下手である。ゆえに若者の気持ちがわからない時がある。ある時、試しに「病む」という言葉を日常会話に織り込んでみたことがある。

その結果、罪悪感が生まれたのである。

「病む」
この言葉はただ自分が精神的に参っていることを他者に伝えるための「サイン」なのであって、それ以上でもそれ以下でもない。

つまり何が言いたいか。「病む」という言葉を使うことによって、人は自分の悲しみや心の不健康の原因の理解から逃げているのではないのだろうか。それでは何も変わらない。

例として、受験期の精神状態を例として取り上げてみよう。私は去年、大学受験を経験したが、今振り返ると、受験勉強に手がつかないほど精神的に参ってしまったことはなかったように感じる。
試験当日に至っては、むしろ毎日清々しい気持ちで受験会場への道を歩いた記憶さえある(決して自分の学力に自信があった訳ではない。言ってしまえば、最も清々しく歩いたのは最後までE判定をとっていた大学の試験である)。

私は断じて精神が強い方ではない。若者風に言うと「豆腐メンタル」の所持者である。

そんな私がなぜ乗り切れたのか。もちろん、一重に両親や塾の先生など関係者各位のお陰ではある。しかしそれ以前に、なぜ自分が落ち込んでいるのかの原因を常に考えていたことが理由であると考える。

受験前の12月や、受験期直前になると不安が増大して泣いてしまう夜もあったが、そんな時こそ私は「なぜ不安なのか」を考えるようにした。不安の原因が分かれば、あとは解決策を考えて実行してみれば良い。例えば、自分の学力に対する不安なら、自分が苦手な分野の勉強をすれば良い。初めての受験というものに対する不安なら、先輩に相談すれば良い。

もし解決策が思い浮かばなかったとしても、自分が何に対して不安なのかを理解しているだけで、状況はかなり改善するのではないだろうか。

あなたが落ち込んでいる時、ただ「病む」という言葉を使うのではなく、「〇〇に対して不安だ。」と相手に伝えてみてはどうだろうか。決して楽なことではないが、悲しみ、不安と向き合ってみよう。

(決して勘違いしないでほしい。私は若者言葉や、若者の傾向が嫌いなのではない。現に知り合いから初出の若者言葉を聞いた暁にはそれなりに焦る。)

(ライター セトァ)