無知の喜

「プーさん」は、なぜさんづけなのかな。

 

高校時代、数学の先生がぽそりと言った。「もしわかった人がいたら僕のところに教えてね、卒業した後でもいいからさ。」と付け足して。受験が終わったタイミングでふと、先生の言葉を思い出した。

プーさんと同じディズニーの代表的キャラクターの、ミッキーマウスでさえも、「ミッキー」と呼び捨てで呼ばれるというのに。なぜ私たちは「プーさん」の名を敬称で呼ぶのだろうか。

 

もしかして、ウォルトディズニーの頭の中に、ディズニーキャラクターヒエラルキーなるものがあり、プーさんはその頂点に君臨する存在なのかもしれない。

 

調べてみると、プーさんとは元々、イギリスの作家の作品であり、それをディズニーがアニメーション化したということがわかった。つまり、元々の小説のタイトルが「くまのプーさん」だったため、ディズニーでもそのまま使われたということだ。(諸説あり)



私たちは子供の頃、家族や先生から

「わからないことがあったらすぐ調べなさい。」

とよく言われてきた。

 

もちろん、わからないことを調べることは大切である。だが、そうやってすぐ調べたことは本当に記憶に残るだろうか?

 

冒頭で述べたプーさんのくだりは、約2年前の話であるが、7ヶ月前まで必死に覚えた世界史の用語よりよっぽど記憶に残っている。

私はプーさんの話を世界史の単語のように、ノートにメモしてヒイヒイ悲鳴を上げながら覚えようと努力したわけではない。ではなぜ覚えていたのだろうか。

 

それは調べる前に、自分で考える、という行為をしたからではないだろうか。

答えを求める前に、まず自分なりの答えを練ることが大切なのだ。

 

勉強でも同じことが言える。時間が限られている受験生は、わからない英単語や、世界史の単語などを見た時、すぐ辞書やネットで調べるだろう。しかし、調べる前に少し自説を展開してほしい。

 

例えば「significance」という英単語の意味がわからなかったとする。辞書で調べる前に、

「この単語にはsignって単語が入っている…何か印をつけるほど大切なことという意味か?」と自説を立ててみる。実際この単語は「重要、意味のあること」という意味だが、私の自説と離れてはいない。

 

そしてこのように思考を巡らせたことにより、この単語はとても記憶に残るものとなった。

 

私らしからぬ真面目な例を上げてしまったが、最初に述べたプーさんのくだりのような、ありえない自説でもいい。(ディズニーキャラクターにヒエラルキーなどあるわけないじゃんっ、と先輩ライターに失笑された。)

 

もしあなたが何かわからないことに出会った時、今まではスマホや辞書にすぐ伸ばしていたであろうその手を一旦止めて、その代わりに自分の脳を動かしてみてはどうだろうか。

わからない時間を楽しむことも、案外悪くない。

 

(ライター:セトァ)