「なるほど〜、I have just 理解!」
「それはちょっとdifficultじゃない?」
「By the way 明日の集合場所どうする?」
聴く人を「いらっ」とさせてしまいそうな会話の数々である。
Made by meなのだが。
私の通っていた中学校には帰国生が多く、日常でネイティブの英語を聞くことが多かったように感じる。そして大学になった今、私は英語英文学科なるものに属している。
そこで今も昔も度々思っていることがあった。
「会話してて無意識にネイティブな発音で英単語喋るの、かっこいい〜」
中学生など、稚拙な英語を多用しがちであるが、帰国生がその言葉を発すると、たちまちとてもかっこいい言葉に聞こえる。あの洗練された巻き舌は、一朝一夕で織り成されるものではない。
修学旅行の際に、写真係の係長となった私の友人(帰国生)が、
「写真係の目標は、”The best picture.”です。」
と流暢に発音していたことは一生忘れない。(ちなみに私のAirDropの名前は”Give me the best picture.”である。)
話は逸れたが、中学生になってから今に至るまで、私は帰国生の話し方を羨んでいたのである。そして何を履き違えたのか私はこんな案を思いついてしまったのである。
「日常会話に英単語混ぜれば、それっぽく聞こえるんじゃ、、?」
それ以来私は、冒頭にて述べたような、「中途半端English」を使い始めてしまったのである。
しかしこれは意外にも頭を活性化する。なぜなら私は「中途半端English」を話す時、当たり前ではあるが、その言葉の意味を確認し、理解して使おうとしているからである。
先ほどの「I have just 理解」を例とする。これは別に「I 理解」でも良いのだが、あえてこれに「have just」をつけたのは、「まさに今この瞬間、わかった!」というニュアンスを出すためである。
このように、日常会話に自分の覚えたい知識を織り交ぜ、新しい知識を「日常化」することによって、より知識を自分のものにすることができる。
高校時代の私のクラスメイトは世界史の猛者だったのだが、彼女が「悲しい。めそめそメスティソ。メスティソは白人と先住民の混血。」というラインを友人にしていたことを人伝にきいた。
「語学は一朝一夕で身につくものではない」という言葉をよく聞く。
ならばそれを日常化し、一刻も早く自分の血肉としようではないか。
(ライター:セトァ)