終わりよければそれでよし?

受験とは、結果が全てだろうか?



共通テストが終わり、私大受験や、国公立2次試験が始まる。当然多くの人々が受験を経験するだろう。否が応でも合格者と不合格者が決まる。



大学によっては、合格者より不合格者の方が多い場所もあるだろう。そんな場所では、多くの涙が溢れる。

 

では、不合格者の人はただ悲しんで終わるだけであろうか。



受験真っ只中にこんな話をするのは誠に申し訳ないが、今回は不合格者の立場になってこの記事を書く。



私の高校時代のバイブルとも呼べる国民的漫画『ハイキュー!!』にて、あるキャラクターがこんなセリフを言っている。



「『結果より過程が大事』と大人が言うて、子供はイマイチ納得せん

でも俺は大人に大賛成や 俺を構築すんのは毎日の行動であって”結果”は副産物にすぎん」



受験と聞くと、結果が全てと思う人も多いかもしれないが、大切なのは「自分がどれだけ努力したか」ではないのだろうか。

 

私は去年受験を経験した。結果としては、第一志望の大学には合格した。しかし、その大学の一番行きたかった学部には落ちた。これでは不合格者と名乗るべきではない、と言われるかもしれない。だが私も不合格を経験したのである。



「あの学部に受かっていればもっといろんなことができたのかな」

「本当にこの学部でよかったのだろうか」

 

こう思うことが多々ある。自分が行き詰まった時は特に。だが私はこの学部を選んだことを後悔していない。

それは私が受験期に精一杯努力をしたからである。

 

もし私が受験というものに真剣に向き合わず、志望校選びもそこそこの気力で行い、そこそこの努力で受かったとしたら、私は一生そのことを後悔し、そこそこの充実度でこれからの人生を歩み、そこそこの満足感で人生を終えるだろう。

 

高校時代、塾長に言われた「人生で一番勉強したと言えるくらい頑張ろう」という言葉は、受験期中ずっと忘れなかった。今もよく思い出すことがある。

 

どれだけ頑張った人でも、不合格になってしまう人はいる。

 

不合格、と聞くと後悔や悔しさなどのマイナスなものが残りがちだが、自分が人生で一番勉強した、努力したということは絶対に変わらない。



不合格になってしまった人に、結果が全てではないと言うことは非常に酷である。言われた側も、受け入れることは難しいだろう。今すぐ努力を認めろ、と言っているわけではない。

 

しかしもし、自分の努力を認められたなら、その時は自分自身を精一杯褒めてほしい。



終わりが悪くても、それでいい、いや、それでよかったのだと思える日を待とう。



最後に、今この瞬間も、努力することをやめない全ての受験生の検討を祈る。



(ライター:セトァ)