湯に浸かり生み出す"間"

令和になり、スマホと共存するのが当たり前の世界になっている。

何かを決断する際もインターネットで事前に調べたり、スマホで連絡を取ったりとスマホは私たちの生活にはなくてはならないものである。

必需品になってしまったが故に離れられなくなり、目的も当てもなく使用してばかり。

気づけば自堕落な生活と情報の波に溺れている私がいた。そんな自分と別れを告げるため、スマホと断絶ができる場所を探していた。

 

いや、”間” が欲しかったのかもしれない。

 

そうしてたどり着いたのが銭湯である。

 

家の風呂ならスマホを持ち出すこともできるが銭湯は他の利用者もいるため使用できない。中毒になるほどスマホを使っている私たちからしたら不便に感じる人もいるかもしれない。

だが私には格好の場所であった。

 

銭湯は非日常感溢れる場所だ。

自分と対話ができる”間”があり、身体だけでなく精神的にリフレッシュすることができる。

開放的な空間や大きな湯船、いろんな種類の湯、初めてきたのになぜか感じる懐かしさ。

これらが私が銭湯に魅了される理由である。

 

特に宮造りの銭湯や浴室奥にある富士山などの風景画は、高く広い浴室を作り出している。

木の温もりや神社のような造り、日本人の象徴とも言える富士山は私たちを安心させてくれる、まるで実家のような温もりを与えてくれているだろう。

また風呂好きにはたまらない様々な湯が用意されている。この空間は至高だろう。リラックス効果のある湯や、効能のある湯、水風呂など豊富な選択肢に私たちは迎えられる。

銭湯はまさに湯のテーマパークだ。

 

新生活となり自分が何をしたいのか、何を目指したいものか分からず迷う人も多いだろう。

また情報の濁流に飲まれ、自分の意見すら耳に入らないことも多い。

 

そんな時は一度銭湯に行ってみるといい。

きっとそこには普段の生活から切り離された“間“が存在するはずだ。

湯に浸かりながらカラン・湯音など聞きゆっくり自分と対話したとき、そこから何かを得られるかもしれない。

 

ライター:おもち